バプテスト派の教会は、各個教会の主体性、独立性を重んじ、教会を組織する際、国家の意向によって信教の自由が制限されたり、或いは外部より教会に様々な影響が入り込まないように教会の信仰告白を制定し、自らの信仰姿勢を吟味する歩みを続けています。但し教会の信仰告白が時代の変化に対応できなくなった場合、教会規約に則り、総会で審議し、その時代に即した表現や内容に改訂することも可能です。大秦野教会では1950年代に制定された信仰告白を2013年7月に改訂いたしました。

 

◆大秦野バプテスト教会 信仰告白
2013年7月改訂、2018年4月更新

 

 1.礼典
 私たちは告白します。イエス・キリストが制定した礼典はバプテスマと主の晩餐の二つです。バプテスマは信仰告白に基づいて父と子と聖霊の名によって浸礼(水に身体を沈める形式)で表明されます。それはキリストの死と復活に与り、新しい命に生きることを象徴します。主の晩餐はイエス・キリストの十字架による罪の赦しを記念し、イエス・キリストを主と信じる者はパンとぶどう酒を共に食し、互いの一致を覚えて主の再臨を待ち望みます。

 

 2.聖書
 私たちは信じます。旧約・新約聖書66巻は神の霊感を受けて書かれた神の言葉であり、私たちをイエス・キリストに導き、また、私たちの生活の全領域における完全な規範です。

 

 3.人間と罪
 私たちは信じます。人間は神のかたちにかたどられ、神との交わりの内に生きるように創造されました。しかし人間は、神のみ旨に背き、神に背を向けて罪の中に生きる者となりました。罪に堕ち、人間は永遠の滅びに定められた。(参照聖句:ローマ6:23)

 

4.神
 私たちは信じます。神は唯一の主、万物の創造主、全知全能の主、イエス・キリストにおいてご自身を啓示された父・子・聖霊の三位一体の神であり、愛に富まれています。

 

 5.イエス・キリスト
私たちは信じます。イエス・キリストは神の独り子であり、聖霊によって乙女マリヤより生まれ、私たちの罪の赦しのために、身代わりとして十字架において死に、三日目に死より甦って天に昇り、神の右に座し、私たちと神との間を執り成してくださる唯一の救い主です。

 

 6.聖霊
 私たちは信じます。聖霊は神の霊であり、イエス・キリストによって約束された私たちの助け主です。聖霊は人の罪を自覚させ、イエスは主であるとの告白へ導き、私たちの信仰を助け、福音宣教の業へと私たちを遣わされる神です。

 

7.救い
私たちは信じます。救いは、人が自力で達成しうるものではなく、イエス・キリストの十字架における贖いを通して、実現された神の義です。人は、自らの罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じる信仰によってのみ罪がゆるされ、永遠の生命に至る救いが与えられます。

 

8.教会
 私たちは信じます。教会は聖霊の導きによって呼ばれ、招かれた者たちの集まりです。個々の教会は主体性を持ち、相互に支配、従属の関係を持たず自主独立しています。私たちは、教会間の交わり、協力を大切にします。(参照聖句:エフェソ1:21-23、2:18-22、3:17、4:12-13)

 

 9.主の日
 私たちは信じます。主の日は週の初めの日曜日であり、イエス・キリストが墓から復活されたことを記念して、終末への希望を抱きながら共に集まり礼拝を献げる日です。(参照聖句:マタイ28:1-10、ルカ24:36-39、ヨハネの黙示録1:10)

 

 10.教会と国家
 私たちは信じます。神は全世界の万物を創造された主であり、すべての国家・権威も神によって立てられています。私たちは、国家が、人々の尊厳を守り、他国との平和を維持するように祈ります。信仰の良心に反しない限り、私たちはその権威に従います。ただし、教会はこの世のいかなる権威、組織、支配から自由であり、政教分離の原則を保持します。(参照聖句:エフェソ1:20-21、ローマ13:1-2、ペトロの手紙一2:13-17)

 

 11.終末と希望
 私たちは信じます。神が定められた終末の日に、イエス・キリストは再び来られます。その時、新天新地が完成し、主の御名を信じる者には新しい霊の体が与えられ、永遠の救いがもたらされます。私たちは、信仰によってキリストによる救いを忍耐しながら待ち望みます。主が再び来られることを信じて、日々の信仰生活を歩み続けます。(参照聖句:テサロニケ4:13-17、ヨハネの黙示録22:6-12、21:1-4)